障害当事者による社会運動は、1960年代末から70年代にかけてアメリカ、イギリス、日本といった各国で、ほぼ同時代的に始められました。

 

こうした当事者運動では、障害者差別の構造を広く社会に問いかけるとともに、既存の価値観を障害当事者の視点からとらえ直してきましたが、そうして再考された価値観の一つに「自立」があります。

 

障害者の「自立」とは?

自立について、人々の認識はさまざまです。

 

一般的に言われるのは、

・身辺自立(身の回りのことは人の手を借りずに自分で行う)

・経済的自立(自分の食い扶持は自分で稼いで一人前)

といったところでしょう。

 

「人の助けを借りず、独り立ちする」といったことが自立の意味ととらえられることが多いと言えます。

 

こうした自立観をもって、成長や達成、回復の度合いを感じとることはあり、そのことの重みを否定はできません。

 

しかしそれがかなわない場合、その人はどのように他者から応対されるのでしょうか。

 

例えば、先天性の重度肢体不自由者である場合、上記の自立観からは離れた存在になるのですが、その人は自立できない存在なのでしょうか。

 

そして、より重要な問いとして、自立できないとみなされるがゆえに「半人前の存在」とされ、保護されることや障害に係る専門家や家族の期待に沿うように行動することはやむをえないことなのでしょうか。

 

こうした問いを考えるにあたり、日本の障害当事者運動にも大きな影響を及ぼしたアメリカにおける自立生活運動の軌跡を見てみましょう。

 

自立生活運動の軌跡

自立生活運動の発祥と呼ばれる動きは、1960年代初頭、カリフォルニア大学バークレー校に在籍する障害学生の運動にあります。

 

ポリオによる四肢障害をもつエド・ロバーツをはじめとする障害学生らの大学への働きかけの結果、

・学内での様々な支援

・障害者がアクセス可能なアパート探し

・介助者の斡旋とコーディネート

・車いす修理

・権利擁護を内容とする身体障害学生プログラム

などが学内で開始されました。

 

このプログラムの成功を機に、卒業生や学外の障害者からも同様のサービスを求める声が高まり、1972年には学籍の有無によらず上記支援を提供する自立生活センターが誕生したのです。

 

バークレーで生まれた自立生活センターは、やがて全米に普及するとともに、障害者の政治参加を求める運動や障害者の権利保障のための運動への拡張につながりました。

 

そして運動の思想と実践は、障害者の暮らしに大きな影響を与えました。

 

これまで病院や入所施設での暮らしを余儀なくされていた障害者に、そうした場を出て暮らす道が示されたのです。

 

施設や病院、親元での生活ではなく、介助者を活用しながら、自身が決めた地域で暮らす生活です。

 

そうした生活が「自立生活」と呼ばれることとなりました。

 

アメリカ発祥の「自立生活運動」

 

この運動は、従来の自立の定義を大きく変換することとなりました。

 

「自立」の定義の変遷

自立生活運動を通じて、「自立」とは、

最大のポイントは、障害者がどれだけ自分の人生を管理できるかだ。

補助なしで自分だけで何かを行えるかではなく、援助を得ながら生活の質をいかにあげられるか。

これが、自立のものさしである。

と定義されるようになりました。

 

自立生活運動の理論化に寄与したガベン・デジョングは、医師等の「専門家」が治療や処遇の主体となるリハビリテーション・パラダイムと、障害者自身が生活や介助のあり方等について主体的に関わることを志向する自立生活パラダイムとを区分しました。

 

それによると、自立生活パラダイムでは、障害者を、受動的な存在ではなく主体的に環境や資源に働きかける「消費者」として位置づけています

 

加えて注目すべきは、障害者が直面する問題の定義づけや解決法の違いです。

 

リハビリテーション・パラダイムでは目標をADLの自立に置き、直面する問題の理由を障害のある個人の身体に見出しています。

 

この考え方は、障害の医学モデルが前提にあります。

 

一方、自立生活パラダイムでは、問題の所在は環境や専門家による処遇の過程にあるとし、その解決には社会的障壁の除去やアドボカシー、当事者による援助活動が有効だとしました。

 

この発想は、障害の社会モデルが前提にあります。

 

日本における自立生活運動

アメリカ自立生活運動が日本に紹介され、その影響を受けた運動や障害福祉研究が具体化してくるのは1980年代以降ですが、それ以前にも今日の障害者の自立生活を考える上で重要な運動がいくつもありました。

 

ここでは2つ紹介します。

一つは、青い芝の会による運動です。

青い芝の会による運動とは?

同会は、健常者中心社会の中で脳性まひ者として生きること、優生思想に抗うことについて運動と思考を重ねました。運動を機に、各地に親元や施設を出て暮らす障害者が現れており、重度障害者の自立生活運動はこの時から始まったと言えるでしょう。

 

もう一つが、公的介護保障要求運動です。

公的介護保障要求運動とは?

運動の成果として、東京都で1974年、障害者の自立生活をそれを支える介護者への保障として「重度脳性麻痺者等介護人派遣事業」が実施されました。 同事業はその後、全国の障害者による粘り強い運動の末、様々な自治体で実施された。対象も重度脳性麻痺に限らず全身性障害者に拡大されており、事業名称は一般的に「全身性障害者介護人派遣事業」とされました。 それは現在の重度訪問介護の基礎となっています。

 

アメリカにならう自立生活センターを中心とした自立生活運動は、1980年代から全国各地で普及し始め、障害者による自立生活支援が行われています。

 

それは1970年代からの運動を底流に、または併走して展開されています。

 

自立生活運動とはいえ担い手によってその方向性や方法は一様ではありません。

 

しかし、障害当事者が主体となり自立生活の安定を目指して行政や国に働きかけるとともに、多くの障害者に「自立生活という暮らしがある」と伝え支援してきたことは同じです。

 

介護を受けること自体は避けるべき依存の形ではありません。

 

いかに介護を受け生活の質を高めることができるか、そしていかに社会的障壁を除去するかということが、自立生活運動の重要な点であると言えます。

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