自治体の障害福祉部門や障害福祉サービス事業所で日々、障害者の支援に携わる人々であっても、必ずしも「障害者」と一緒に学んだり、遊んだり、暮らしたり、働いたりしてきた人ばかりでは無いと思います。

 

今の会社や職場に就職や転職、異動をしてきて、初めて「障害者の支援」に携わるにようになった、という人が多いのではないでしょうか。

 

もちろん、家族や親戚、それこそご自身が「障害者」である方もいらっしゃるかも知れません。

 

個々人の経緯や背景はそれぞれあるとしても、様々な人々が「障害者の支援」に現実的に関わっています。

 

そこで、まず考えておきたい点として、障害者とは「誰」のことなのかという問題です。

 

ここでは、少し学問的な内容も含め、「障害者とは誰か」という問いに答えていきたいと思います。

「障害者」とは?

「障害者」をイメージするとき、一般的には、

 

・歩くことができない人

・目が見えない人

・耳が聞こえない人

・お金の計算や文章の読み書きが苦手でうまくできない人

・自分にしか聞こえない人の声が気になる人

 

そのようなイメージがあるかもしれません。

 

また、「障害者」はかわいそうな人だと思っていたり、パラリンピック等の報道を通じて頑張っている人という印象をもっている人もいるでしょう。

 

近年の話題では、2009年のヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで日本人として初優勝した全盲のピアニスト・辻井伸行氏の演奏を見聴きしてすごいと感じた人もいると思います。

辻井 伸行(つじい のぶゆき、1988年9月13日 - )は、日本のピアニスト、作曲家。2009年、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで、チャン・ハオチェンと共に優勝した。日本人として同コンクール初優勝者である。

引用元:『ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典』

 

あるいは、自身が「障害者」と呼ばれる特性を持っている人の中には、自己像と他者からのまなざしとの間にズレを感じているかもしれません。

「障害者」を理解する

上記であげた例の共通点は、障害者を「〇〇できない人」ととらえているところです。

 

そして、

「何かができないからかわいそう」

「できないことがあるにも関わらず頑張っている」

といったイメージにつながっているとも言えます。

 

一方、自身に「障害者」という特性を持っている人は、日常生活で不便なことはあるとしても、暮らしの中には楽しさもあり、「障害」は私の一部でしかないのに、なぜ世間の人は私のことを「障害者」としかみなさないのだろうかと感じているかもしれません

 

こうして考えてくると、「できないこと」と「人」に分解して理解することができるのではないでしょうか?

 

例えば、「障害者権利条約」では、「障害者」は「障害」と「人」に分けた表現となっています。

 

このように「障害者」を漠然ととらえるのではなく、「障害」と「人」に分け、さらに「障害」を質的に異なる諸要素に区分し、諸要素が関連した結果として「障害」を理解することを『障害構造論』と言います

 

少し、アカデミックの話になってきましたが、以下ではより詳しく解説していきたいと思います。

国際生活機能分類とは

『障害構造論』の代表例が、国際生活機能分類と呼ばれているものです。

 

国際生活機能分類(ICF)は、世界保健機関(WHO)によって1980年に公表された国際障害分類(ICIDH)の改訂版として、2001年に公表されたものです。

 

要はこれまで明確な定義や解釈が定まっていなかった「障害者」という言葉について、

・障害を統計的に把握しやすくすること

・サービス評価への応用

などを目的として策定されたのものです。

 

ここでは最初に公表された国際障害分類と、現在、保健・福祉・医療の領域で広く活用されている国際生活機能分類について以下で概説していきましょう。

国際生活機能分類と医学モデル

1980年に公表された国際障害分類では、病気やケガを原因とした障害を3つの次元、すなわち、機能障害、能力障害、社会的不利の構造としてとらえていました。

 

例えば、交通事故にあって脊髄を損傷し、

「四肢が麻痺したため(機能障害)」

「歩行することができなくなり(能力障害)」

「その結果、仕事を辞めざるをえなくなった(社会的不利)」

と「障害」を理解することができます。

 

このように、「障害」を構造としてとらえることは画期的な試みで、例えば、どのレベルの障害にどのような援助を行えばいいのかをより明確にすることができます。

 

しかし、このような国際障害分類に対して批判が寄せらえるようになりました。

 

代表的な批判は、「障害」の原因を病気やケガから生じた個人的問題としてとらえた「医学モデル」だというものです。

医学モデルとは?

障害という現象を、疾病や外傷等の健康状態から生じた個人的な問題としてとらえ、医療を中心とする専門家が個人の異常な状態をできる限り正常な状態に戻すことを目標とする考え方を言います。

 

また、機能障害や能力障害が原因で社会的不利が生じるという説明の方向とは逆に、社会的不利から能力障害が生じることもあるという批判、あるいは、機能障害や能力障害が同じであっても社会的不利の現れ方は一様ではないといった批判もありました。

 

このような批判を受けて、1990年代に入って改定作業が開始され、現在の国際生活機能分類(ICF)に至っています。

国際生活機能分類の特徴

国際生活機能分類の特徴は、障害を3つのレベルでとらえることは国際障害分類と同様ですが、障害を否定的なイメージでとらえるのではなく、中立的な用語である『生活機能』を用い、社会的環境要因をより重視したことが挙げられます。

 

まず、障害の次元については、

・機能障害の代わりに「心身機能・構造」

・能力障害の代わりに「活動」

・社会的不利の代わりに「参加」

としました。

 

そして、障害とはこれらのレベルで制限・制約されている状態であり、特定の人に生じている状態ではなく誰にでも起こりうることを明確しています。

 

次に、障害の発生と変化に影響する背景因子として「環境因子」「個人因子」をモデルの中に加えました。つまり、障害とは人と環境が相互に影響しあって発生するという相互作用モデルの立場をとっているのです。

障害の社会的要因とは?

国際生活機能分類は、環境因子もそのモデルに組み込んだ相互作用モデルになっており、ある特定の個人の状態を客観的にみて「障害」状態であるかどうかを判断しています。

 

しかし、環境因子も含んで「障害」を理解することはできても、社会的要因そのものを問題化する視点はもちにくいと言えます。

 

例えば、次の2つの状況を考えてみましょう。

「手話で楽しそうに歓談している5人がいます。」

「この集団の1人は音を聞くことができるが手話が分かりません。」

「そのため、他の4人が会話している内容を把握せずにその場にいるだけでした。」

果たして何が『障害』で、誰が『障害者』なのでしょうか。

 

もう一つの例を考えてみましょう。

「自分の足で歩行が可能なAさんと、車椅子を利用して移動をしているBさんがいます。」

「AさんとBさんは、建物の1階から2階に移動したい。」

「建物に、

①階段があればAさんは移動できるがBさんは移動ができない

②エレベーターがあればAさんもBさんも移動できる。

③階段もなく床に穴が空いているだけだとしたら、AさんもBさんも移動ができない。」

さて、①②③では、いったい何が異なっているのでしょうか。

 

一つ目の例は、コミュニケーション手段が異なることによって少数派に「障害」が生じていることを示しています。

すなわち、音が聞こえるかどうかという心身機能・身体構造によってコミュニケーションの「障害」が生じているのではなく、多数派が使っている言語が理解できないために会話が分からないという「障害」が少数派に生じているのです。

 

二つ目の例は、配慮が平等ではないことを示しています。

高い場所への移動に関して、①ではAさんだけに配慮されており、②ではAさんとBさんの両方に配慮がありますが、③ではAさんにもBさんにも配慮されていません。

配慮の平等という観点からみれば、高い場所への移動に関してどちらにも配慮をしていないという意味では③は平等となります。

 

なぜ、①の配慮は当然とされるのに、②は特別な配慮とみなされがちなのでしょうか。

 

この二つの例から、何かを達成するために採用される手段や方法は社会によって変動すること、そして人々に対する配慮は平等に配分されていないことが分かります。

障害の社会モデル

つまり、「障害」は社会によって生み出される側面があるのです

 

とすれば、社会の在り方を変えること、社会の側の変革こそが、「障害」を解消するために必要だとも言えます。

 

このように、社会が「障害」を生み出すという理解を「障害の社会モデル」と言います。

 

障害の社会モデルは障害学の基本概念であり、障害者運動による異議申し立ての主張から生み出された認識枠組みなのです。

 

このような社会モデルの認識に立つと、環境要因をモデルに組み込んでいる国際生活機能分類においても、結局のところ、「障害」は個人のインペアメントが起点とされているため、問題の解決の手法としては個人レベルでの治療やリハビリテーションが優先される個人モデルであるともいえます。

 

なお、社会モデルにおいても、治療やリハビリテーションが全てを否定するわけではなく、「障害」のとらえ方や「障害」の解決あるいは軽減方法の優先順位を問うています。

健全者幻想

私たちの社会は残念ながら、「障害」のある人たちにとって暮らしやすい社会ではなく、暮らしにくさが障害者を排除している社会でもあります。

 

したがって、障害の社会モデルが示したように、まさに社会の側の変革が問われているともいえるではないでしょうか?

 

「障害」がある人が暮らしやすい社会は誰もが暮らしやすい社会でもあり、そのような意味での「障害」の予防は誰にとっても開かれた課題です。

 

とはいえ、「障害」がある≒「障害者」にさせられている人の、今まさに困っている状態をないがしろにはできません。

 

困っている人は、「障害」があることを要因とした困難が積み重なった結果として、固有の心身をもった生活のし辛さにまさに直面しています。

 

「障害」は社会が生み出すものであるという視点に加え、それでもなお、不利益が特有な形式で個人に集中するという「障害」の特性を理解することが重要です。

 

ここまで、「障害」を分析的に考えたり、「障害」の社会的側面を検討してきたが、実はそれだけでは不十分です。

 

その理由は、「障害」に潜んでいる否定的な価値の問題があるからです。

 

これはなかなか厄介な問題で、「障害」がある人の自己イメージにも影響を与えるものです。

 

障害者自身も、

「健全者は正しくてよいものであり、障害者の存在は間違いなのだからたとえ一歩でも健全者に近づきたい」

と思うような意識構造、それは『健全者幻想』と呼ばれているものです。

ピア・カウンセリング

自分は無力な存在ではないと自身を取り戻すためには、例えば、「ピア・カウンセリング」の取り組み等が挙げられます。

ピア・カウンセリングとは?

「ピア」とは仲間や対等という意味であり、仲間同士のカウンセリングのことを言います。従来の専門家によるカウンセリングと違い、同じ悩みや障害を抱えるもの同士が、同じ立場を共有しながら、精神的なサポートや情報提供、自己決定や地域自立生活に向けた準備・支援等を行う活動を指しています。

 

しかし、障害者本人が自分を無力な存在ではないと考えていたとしても、周囲からのまなざしが否定的なままであれば、そのズレに居心地の悪さを感じてしまうでしょう。

 

このようなズレを解消するためには、「障害」に対する否定的な見方を転換する価値前提の変更が社会の側に迫られているのです。

「障害者」って誰ですか?

国際生活機能分類にせよ、障害の社会モデルにせよ、「障害」に着目することで理解を深めてきました。

 

「障害者」は誰なのかという問いの答えは、どのように「障害」をとらえるかによって異なります。

 

障害者の権利条約においても、策定過程での議論の結果、「障害」と「障害者」はいずれも定義ではなく、条文の前文と目的の中で各々の概念が記述されるに至りました。

 

しかしながら、現在の日本の法制度上においては、ある人が障害者であるか否かという「人」の定義を採用しています。

 

代表例が身体障害者手帳であり、大抵の場合、手帳の有無が法制度を活用できるか否かの判断基準となっています。

 

これは、法制度の定義は受給資格に関わるからという背景もあります。

法制度は「お役所モデル」?

法制度は成立したその時代状況を色濃く反映しており、さらに新たに対応すべき社会問題が生じた場合でも既存の法制度を修正・拡大することで対応してきた経過があります。

 

その結果、「障害」をいかなる枠組みでとらえるにせよ、何をもって「障害者」とするかのか、その範囲について合理的な説明ができない恣意的な「お役所モデル」とでも言うべきものになっています。

 

法制度上の「障害」規定の狭さや不合理については、これまでも多くの指摘や批判がされてきました。

 

社会の側が変革することで、「障害」の問題が解決されるのだとすれば、法制度は社会を構成する重要な要素です。

 

また、不利益な集中を経験している障害者の日常場面における支援・援助のツールとして、法制度は欠かせないものでもあります。

 

私たちには、法制度上の「障害」規定の狭さや不合理を解消する不断の努力が求められていると言えます。

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